ギリギリを攻めるということ
生と死の間を彷徨うのが好きな方っていますよね。
私はそこまではいきませんが、ギリギリの緊張感を味わいたいタイプです。
ただ、ギリギリを攻めるということは、見極めを誤るとすぐ失敗してしまう危険性を秘めているのです。
中学生のとき、卓球の試合から帰るときの出来事です。
先輩も後輩も同級生も、男子も女子もみんな一緒に電車で帰っていました。
乗り換えの駅のホームで電車を待っているとき、風が少し強く吹いていました。
ここで私のギリギリの緊張感を味わいたい欲が発動してしまいます。
切符を握っていた手を開き、手のひらの上に切符を載せて友達に見せつけました。
「見て!風吹いてるけど飛んでいかない!」
強い風が吹いていても切符が飛んでいかないギリギリを攻めてみたのです。
友達も何を思ったのか
「すごい!」
そうおだてるものですから、私はもっとギリギリを攻めたくなりました。
もろに風の影響を受けそうなホームの前方に移動して同じことをしたのです。
そのとき、髪の毛が絡まり、とっさに目を閉じてしまうくらいの強い風が吹きました。
次に目を開けたとき、手のひらに切符はありませんでした。
「あれ?まさか」
血の気が引いて周辺を見渡しますが、もちろん見当たりません。
切符のような軽いものは少し強い風が吹けばすぐに遠くに飛んで行ってしまうもの。
そんなこと、中学生の私にも分かっていたはずです。
しかし、友達におだてられて調子に乗った私は見極めを誤ってしまいました。
お母さんにもらったお金で買った切符なのに。怒られる。恥ずかしい。どうしよう。線路にある?お金どうしよう。
様々な思いが巡り、涙が出てきました。
自分が調子に乗って犯してしまった失敗ほど恥ずかしいことはありません。
結局、卓球部の部長である先輩に付き添ってもらって駅員さんに事情を説明しに行きました。事情を説明するときも、恥ずかしいので詳細は隠します。
「普通に切符持ってたら落としちゃって・・・風で飛んで行っちゃって・・・」
もじもじと話す涙目の私にも駅員さんはマニュアル通りと思われる対応。当たり前です。
「もう一度切符を買ってください」
当たり前の対応ですが、中学生の私は母親にもらった往復の切符代ちょうどしか財布に入れていなかったので切符を買うお金は残っていませんでした。財布に入れるお金もギリギリを攻めていたのです。
年は私とひとつしか違わない先輩がお金を出してくれて切符を買えました。
恥ずかしい気持ち、申し訳ない気持ち、マニュアル通りの対応の駅員さんに対する怒り。様々な感情が入り混じり、涙が止まりません。
ギリギリを攻めて賞賛される方もいますが、攻めた結果失敗して沈んでいった人もきっとたくさんいると思います。どちらが良いかなんて結果が出てみないと分かりません。
それだったら私はギリギリを攻めずに後悔するよりは攻めて失敗してのちにネタにするほうを選びます。さすがに生死に関わるギリギリは攻めませんが、人生をかけてギリギリに挑戦するくらいはいいかなと思ったりする今日このごろです。